大人は、なぜ学ぶのだろうか

(心の必須栄養素を求めて)
目に観えることを、学習するのは、
識字率の高い日本では、もはや当たり前だが、
21世紀においても、
字が読めることが、世界の常識ではない。
マレーシアやアマゾンの奥地では
今もって、
文字が無いことが、その地域の
しきたりだったりする。

かといって、
人として未熟とかそういうものでもない。
かえって、家族間の結束、
年長者を敬う姿勢はたけているようだ。

さて、大人の学びは、得てして、
目に観えないものを学びたがる。
文字のない時代に逆行、
もしくは、進化していく。

目に観えない学びの中で、
21世紀の代表的なものは、
「スピリチュアル系」ではなかろうか。

これこそは、まさに、
「感じる学問」の権化である。

もちろん、可視化にすることも、
ある程度可能ながら、
根本は、
「自己都合により、感じる学問」で、
あることはいなめない。

その、文字にもあらわされない、
何かしらの感情が、
自らの中に共時性を生み出した時、
いろいろな経験をしてきた大人は、
ふと、安堵するのである。

この安堵感は、
太古からのつながり、
自己肯定の根源意識を促進させる。

誰でも簡単に、多様な情報を
手な入れることができる現代において、
この、揺らがない、自己肯定の源は、
生きていくための、
心の必須栄養素であり、
大人にこそ、必要なのかもしれない。

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